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キノプラ太-矢野の仕事が無いAV監督日記。

AV監督、キノプラ太-矢野の仕事覚え書き。

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AVをつくるということ。7、欲望は深い。

一度AVをやめたときに、また映像に関われるとは思っていなかった。それがAVであれ「仕事して生活費を稼ぐという名目つきで」映像を作ったり考えたりすることは楽しかった。
五年のブランクの間に自分が変わったもの、変わらなかった部分、洗い出ししながら形にして、人に見てもらえるというのは楽しいものでした。
本当に匿名的な監督として「人妻モデルのように」ひっそりと、かつシンプルにバイトしようと思っていたのだけど、欲が出た。(たまたまDIRECTORSっていう監督売りのレーベルで仕事を始めてしまったからだが。でも、これでなければ仕事もなかった、という意味では必然だったのか)作品を作りたかったし、認められる作品で褒められたかった。だからバイトの領分を越えていってしまった。
内容も以前の「笠木忍」の関係性を超えるものを撮りたくなったし(だから、セクハラに意欲的になったり・・・)、今のAVの時流でないものをゴリ押しして撮ったりということになった。

いつしかセクハラそのものが目的化する部分もあって、やばいという意識もありました。
(ちょっと脱線ですが、AVは映画とちがって女の子が実際にセックスをするということで生な反応を見せるという表現であるために、その反応を男優との関係性に任せず、自分でカメラ目線で撮りたい、という考えになるのは当然だと思うんです。AVの特権というか映画との差別化ってそこだと思うんです。お客の本当に見たいものは、女の子が自分を見つめてくれる擬似恋愛だとも思ってますし。でも、自分が男優すると楽しいので、それを楽しみに撮影するようになってしまう。作品の中に必要だから、セクハラするというより、それがしたくて作品を作っていこうとする転倒がおきてしまう。だから自分で上手くバランスがとれる監督でないと手をだすのは危険かもしれません)
台本も次第に「大作志向」化していき、観念的になり・・・・・・・・・・、

やっぱり映画がやりたかったんです、なんて、「なんて強欲」。

30歳でAVに入ってきて、40歳になって思うことがこれっていうのは悲しい話です。



そのような部分をさして「あなたは偽善的で自分勝手な寄生虫である」と僕は言われるのでしょうか。
  1. 2008/01/03(木) 17:09:45|
  2. AVを作ること
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AVをつくるということ6.全てはエロのために。

そこで、考えるのは結局、僕のもともとの志向じたいがAV向きではないということ。
人のAVをみると、ロケーション撮影するにしても、衣装やセット、芝居にしてもエロを表現するために撮られているみたいなのです。
僕のは絡みシーンは別として(そうでもないか?)エロを表現しようとしてないし、ドラマ部分においてはエロを否定してさえいる。僕がグッとくる部分はエロチックな部分だけでないし、エロのために理詰めでドラマも撮らないから、客観的には酷くひいたもの(気取ったもの?)に見えるのかもしれない。
AVを真面目に撮っていらっしゃる方々からすれば「真面目にやれ!」といわれそうです。
AVは「全てはエロのために」でなくてはならない。

ならば、やっぱりそこに浮かびあがるのは「映画をやりたかったけど、才能がなくて出来なかったから仕方なくAVをやってるけど、映画にも未練があるのよね」っていう中途半端な商品なのだろう。

だってAVは嫌いじゃないけど、AVを撮りたいわけじゃないんだもん。(セクハラできるのは楽しいけど)
それが多分、僕が仕事がない理由なんだろうなぁ。

で、どうするか?だ。
さて。
  1. 2008/01/03(木) 02:47:41|
  2. AVを作ること
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AVをつくるということ5.

そんなときに、タイミング良く「銀河鉄道の夜」を見た。
杉井ギサブロー監督。
演出ってここまで徹底してやらないと駄目なんだって思い知らされる。美術、キャラクター、音響、音楽・・・。僕が普段やっているAV撮影や編集なんか屁でしかない。いきあたりばったりで何となく格好よく撮れた画をつなげて、説明不足のとこにテロップで説明して「なんとなーーーく」そんな感じに仕上げてるだけだもん。僕のは。

イメフォ時代から撮り方が一切変わってないのに気がつくと情けない。簡単なコンテを書くこともあるけど、最近はそれもしない。物語を決まった撮りかたに当てはめて順番にその画を撮ってるだけです。はい。
だから僕は才能がないのだと思うけど。

確かに映像はどう繋げてもつながるし、語り方に決まりはないかもしれないけど、アニメを見るときには、きちんとしたコンテこそ映画表現だと思う。実写だと演技の面白さで意外な面白さとかあったりして乱暴につないでもいけなくない。

でも思うのは、実写でコンテ切って画を撮っていくと、予定を消化していく感じになって実に面白くない。役者も仕事モードになったりする。だから引きの画だけ決めて撮り始めてしまうわけだが、そうすると編集の時に必ず画が足りなくなる。思った画が撮れていない・・・となる。
その辺が今のジレンマ。ある意味僕の限界。

僕の悪い部分で、女優に気に入られたいとか、早めに切り上げて女優と二人っきりになってフェラでもしてもらおうとか、そういうヨコシマな考えをもったりするので、演技が出来ないなら出来ないなりの撮りかたでいいや、とか何回も繰り返して撮影することで女優の機嫌が悪くなるのが嫌だ、とか思いながら撮ってるからそうなる部分もあります。
もっと演出家としては灰皿投げるくらいのプロ意識を持たなければ・・・・・・・・・とは思います。

よく言えばライブ感のある撮影、悪く言えば超適当ということですね。
この女優にたいしてセクハラをするっていうのは、復帰してから積極的にするようになったのだけど、「この女とやりたい!」と思いながら、その気持ちを前面に出していくくらいのほうがAVっぽくなると思ったからです。どうしてもエロを拒否したものを撮ってしまう傾向があったから。

確かに以前みたいに手の届かない高貴なものとして女性を見る視点から、エロ親父的なセクハラ視線に変化はしたのですが、今度はエロ優先のいい加減さ、とでもいう感じになってきてます。ちょっと行きすぎみたいですね。

そんなだから、今こうしてきちんと作られた映画を見ると、はっとするし、きちんとコンテの出来ている映画の表現力に打ちのめされたわけです。
  1. 2008/01/03(木) 01:40:32|
  2. AVを作ること
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