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キノプラ太-矢野の仕事が無いAV監督日記。

AV監督、キノプラ太-矢野の仕事覚え書き。

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カトウ君。

秋葉原殺傷事件のカトウ君。
でも、あの犯行を僕がしたような気がしてならない。
きっかけとタイミングがあれば僕だってやっていたかもしれないと、いつも思う。

今だって「殺してやる、殺してやる」という思いを、精一杯隠している自分がいるからだ。
人とのコミュニケーションが取れなくて、踏みつけにされた気がして、女の子もまともに相手してくれなくて、でも「悪」になりきって生きることもできない僕らは殺し死ぬことしかできない。

でも大方の人は自分をコントロールしたり、ごまかしたりしながらなんとかやっているのだろう。

でも、そこで一歩踏み越えた彼の頭に、歩行者天国が始まるまで待っている時間、車のアクセルを踏み込んだ瞬間、人を刺した瞬間、一体どんな音楽が流れていたのかが凄く気になる。




殺意を持って人を刺した。当たり前。
殺そうと思っているから。
でも、刺した肉の感触に殺意は消えないものなのだろうか?

僕が人を刺すなら、きっとこの音楽が流れてくるのを知っている。

http://jp.youtube.com/watch?v=J7ogmfwjDmc&feature=related


彼の顔を見てたって、彼の頭の中で、こんな凶行を計っているとはわからない。
女の子の顔を見てたって、その頭の中の考えはわからない。
人間は血の詰まった袋ではなく、精神の詰まった袋であって、外見からは全くの暗箱だ。
そしてお互いに相手を恐れているのだと気付けばよかったのにね。

まさに、エヴァでは「殺す」っていうコミュニケーションしか結論できなかったものを、今まさに、より突っ込んだ交流、として描きなおしているなかでの事件だったと思うけど、せめてカトウ君、新エヴァを全部
見るまで、待てばよかったのに。

でも、僕は待てるのか、自信がないのだけれど。
  1. 2008/06/16(月) 14:06:19|
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AVを撮りましょう2.

「の、」さま、いつも有難うございます。
確かにyoutubeなどに「僕らの思い出」とかいう、個人の撮影したAVがアップされるのはまずいのでしょうね。でもそれはyoutubeがアダルトものを嫌っているだけで、アダルトOKのサイトなら問題ない気もします。自分で撮ったものなんだし、海外のサイトならボカシとかもいらないように思います。

でもどうせなら、ただで見せるのはもったいないので自分のHPで有料ダウンロードにしましょう。
日本向けなら、法に乗っ取ってボカシはいれないといけませんが。
制作費がモデルさんのギャラ程度なので(もし恋人が出てくれて、発売してもいいよーって言うなら実質、制作費0円です)、販売価格は激安でできます。DVDを作ったりケースやら写真やらもいりません。以前なら販売ルートの確保のために大手メーカーのルートを借りてピンはねされたり、販売店がどうのこうのとお金がかかる一方で結果、DVDの値段が3000円とか高くなってしまったのから考えれば便利な世の中です。
だから、そんな「金だけ出して、利潤を得ようとするメーカー」も、「素人レベルの制作スタッフ」もすっとばして、お客さん同士が「自分で作って売りあえば」安上がりですみます。
モデルさんも胡散臭いモデル事務所から仕事をもらって半額以上ピンはねされるより、直接、お客さん兼監督と契約すればギャラも増えるし。(ただ、これはお互いの信頼関係を持てることが必要ですね)

自主流通米みたいなもんですか?

そうすれば、大資本の大手メーカーは高い価格のぶん「素人にはまねできないくらいのすごいもの」を作るようになるし、高いくせに素人なみのメーカーは潰れちゃうのかなぁ。


と書いてきて思うのは、こうなると「金になりそうだから、俺もリアルレイプビデオを作ってやるか」とか考える輩がでそうな感じで困ります。
いや、裏ビデオってそもそもこういう作り方だよなぁ。
現在、まがりなりにも表AVでは「モデルは18歳以上で、犯罪的な行為は行わない」という暗黙のルールが保ってるのはメーカーが製作を独占状態にしてるからなのだろうか?
インディーズが乱立してきたら、ルールが崩壊してしまうのかもしれません。
で何でもありになってAVは法的に禁止されるのかもしれませんね。

こうして考えたら、人間ってことエロの分野になると、すぐ犯罪の領域に行ってしまうのは何故?
相手を苛めたりしないとか、未成年に手出ししないとか、そういう当たり前のルールをなんで守れないんだろう?そういう事をするのが興奮する病んだ人が多いのかしらん。
ルールの中でお互いに楽しむセックスのAVって魅力的なものだと思うけどな。

性に対してのモラルが一般化するほどには、まだ人は歴史が浅すぎるのでしょうか?
あるいは、どうしようもない阿呆な輩がいなくならないということなのか。
困ったねぇ。




田中 優 著
「戦争をやめさせ 環境破壊をくいとめる 新しい社会のつくり方」
を読む。
前に書いた小沢健二さんの「うさぎ!」という小説もそうだけど、、世界を資本主義の観点から捉えなおしたらいろんな利潤追求という悪と環境破壊の問題が見えてくる、そこで未来バンクなどの実際に可能な変更の仕方を提案している本です。

僕はそういう社会のことを、あまり気にしないで生きてきた阿呆なので、勉強になります。
こういう考え方って、社会人にとっては、常識なのでしょうか?たとえば企業のトップの人って、わかってなにかしてるのか、してないのか、わかってないのか、どうなんでしょう?




  1. 2008/06/08(日) 03:26:53|
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AVを作る立場から。AVを作りましょう。

映画ファンという人々は浴びる様に映画を見ることはしても、自分で撮ろうとまで考える人は意外と少ないようである。
これがたとえば音楽だったら好きな唄をカラオケで歌ったり、自己流で演奏してやろう、なんて考えるひとは居そうである。
でも映画ファンは、ストイックにただ見続ける。何故か?映画はお金がかかるし自分には無理と考えるからかもしれない。けれど最近の映画はビデオで撮影が多い。それもさほど高くないカメラだ。
ゴダールだってデビッドリンチだってビデオだ。でもすごい映画を撮ってる。
リンチが使ったソニーのカメラ「PD-150」っていうのは中古なら20万くらいで買えるのでは?

だから撮ってみたらいいのに。そしたらもっと愉しいと思うのだけど。

AVだったらもっと安あがりである。
カメラなんて子供の運動会を撮るようなのでOK。業務用なんて実際使ってないほうが多いです。
ハイヴィジョンなんていりません。AV業界はハイビジョンでの制作をいまだにほとんどしていません。
恋人がいるなら、ちょっと協力してもらって一緒に撮影すればすみます。

照明機材なんかいりません。明るい場所で撮ればいいのだし、最近のカメラは写りがいいので多少暗くても大丈夫です。ライトなしで撮ってるAVなんていくらでもあります。僕も宇宙企画の時は基本的にノーライトで撮ってました。
それにいくら上手に照明をつけるより、太陽の光を生かしたほうが綺麗に撮れます。
AVの現場は撮影が夜中にまでかかることがあるので、夜は仕方なくライティングをしますが、別にベッドサイドの電気スタンドだけの明かりで撮ってもかまわないです。明るく撮るよりもエロい感じになります。
編集なんかいまどきのパソコンなら簡単にできます。
一部の変わった監督以外、編集なんかてきとうにしかしてません。子供の運動会のビデオを編集できれば簡単にそのへんのAV以上に良くできます。

これで終わりです。別にモザイクなんかいらないし、自分の嗜好にあったAVの完成です。たぶん多くのAVよりそんなに見劣りはしないのではないでしょうか?
むしろ「自分の恋人とセックスしてるAV」のほうが一般のAVより絶対に面白い(エロいというか)はずです。
プロのAVは、所詮お仕事セックスですから。絶対にまねできません。

そしてもし、誰でもがAVを撮るようになったら、その中からこそ、「次のAV」「面白いAV」が生まれてくるように思います。恋人との距離感、セックスの楽しみかた・・・。AVは愛のタブーにほんのすこしだけ踏み込むツールになる気がします。
もはやAVなんか買う必要ないんです。

どんどん撮りましょう。
  1. 2008/06/07(土) 02:28:54|
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AVを作る立場から。エヴァンゲリオン新劇場版

やっと見れた。
すごかった。
TVシリーズ、劇場版が手探りで模索しながら、破綻する姿までもライブ的に見せていった故の不安感と緊張感に充ちたシリーズだったけど、新劇場版はシリーズの最後に主人公のシンジ君が気付く「人の関係性のなかでこそ自分は形造られ、存在を許されるのだ」というひとつのテーマに焦点を絞って、これでもか!というくらい具体的に見せていく。

まさに単なるリメイクではなく、十数年たって、変わったであろうスタッフや僕ら観客がどれだけ大人になれたのかを問う作品になっていると思いました。
同じ話しをあえて描くことで、当時思いもよらなかった部分や感情が見えてくる、まさに「ストーリーの続篇」ではなく「作品の気分、の続篇」なのだと思います。
「王立宇宙軍」の続篇でお蔵入り?してる「蒼きウル」も、こういう「気分や精神の続篇」だったのでしょうか・・・・・・?

前のシリーズは作者自身の不安感や恐怖がもろに出るスタイルで、それが大好きだったのですが、不安で叫んでいるだけでは済まされない年齢にいつのまにか僕はなっていました。

とはいえ、完結まで先の長い話しです。
何年後か、また新たな壁と破綻があるかもしれません。
きっと生きる、というのはそういうことなのでしょう。

変な話ですが、この先、もし自分が老人ホームに入るようになった時に、エヴァの話しでホームの同居人たちと口論したりするのが楽しみになってきました。それだけの懐の深さをもった作品だと思います。


こんどこそ
「ねえ、シンジ、キスしようか」
って言葉を聴くことができるでしょうか?
僕らは。
  1. 2008/06/06(金) 20:07:20|
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AVを作る立場から。

そういえば、昨日は天安門事件の日だったらしい。日付をすっかり忘れてしまっていた

中国の人々のことを考えているときにラジオで誰かが言っていたけれど
「悪貨が良貨を駆逐す・・・」
なんとなく納得。

いくら礼儀正しくいようと思っていても、周りが生き馬の眼を抜くような過酷な環境だったら、自分もすばしっこく、要領よく、生きていかなければ食いっぱぐれてしまうでしょう。そういう人間の本性を理解したうえで政府は国民なり国家なりの発展を指揮していくべきなのでしょうが、自分で考えたり秩序を乱す国民を政府が作りたくないようなので困ります。
そういう国民を扱いにくいのはわかりますが、自己判断できない国民を純粋培養されて手がつけられなくなってしまったら周りも迷惑ですよね。
倫理観の育っていない国民が海外で不良行為を繰り返し始めたら、親である政府は責任をとってくれるのでしょうか?
少なくとも僕なら自分の子供が「善悪の区別もつかないように育てられた子供」に殴られでもするのは嫌です。
指導した結果への責任は親に取ってもらわなきゃ。

そしてこれは「倫理観のないAVをたれ流しにしたAV業界」のことでもありますが・・・。

とはいえ、AVを見る人だって、眼の前の人に対して「人として気持ちを考えて接する人」がいれば「性欲の対象として凌辱することしか考えられない人」「これは倫理的にはまずいけど金になるからOK」「金になるけどNG・・・」と、人間の考えなど様々です。
どちらの数が多くなるかっていうことだけで社会なんて決まっていくのですねぇ。

生きていくので精一杯っていう状態でなくなれば、少しは選択肢も変わるのでしょうか。





ちょっと映画をみました。
「真・女立喰師列伝」2007日本。です。
押井守監督が監修も努める、複数の監督のオムニバス作品です。
20071116mog00m200026000p_size5.jpg


しかし、押井さんというひとは、実写になると極端に映像が貧相になるなぁ。
脳みそがとろけそうなお馬鹿映画だなぁ・・・。と思ってみてましたが、その中の一本、
湯浅弘章監督作品「草間のささやき 氷苺の玖実 (主演・藤田陽子)」はすごかった。
映像がすごい。お金なんかかかってない。光と色と女性の美しさと色気、さとうきび畑を疾走するカメラのたぐいまれない美しさ。周りがお馬鹿ムービーなのでよけいだが押井カラーを一切感じさせない湯浅監督の映画、であった。
111.jpg


トラン・アン・ユン監督の映画「青いパパイヤの香り」のような映像美でした。
湯浅監督の商業作品デビューなのだそうです。
風景や昆虫の撮り方が僕のやりたい方向と似ているので口惜しいです。
押井監督とかどうでもよくなっちゃった(笑)








  1. 2008/06/05(木) 20:38:38|
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AVを作る立場から。

「の、」さま。
お勧め頂いた「中国入門」が図書館にあったので読みました。
なるほど中国は国家の体を成していないちゃらんぽらんな国だと思います。

「銃口で作られる国家」というのも、結局は威力を使わなければ制御できないくらい雑多な国民ゆえであるし、社会を維持成立させるための社会性を国民が持っていないからなのでしょうか。

逆に日本は(幸か不幸か)社会に逆らうことなどできないくらい徹底的に社会性をしつけられている。

これほどアナーキー?で非倫理的な人々をこんな大量に抱えた国はどうなんでしょう?
いつも思うことですが、海外に留学に来た中国の人々は、海外のいろいろなものを見たあとで、中国を肯定できるものなのでしょうか?まあ「正しいのは自分たちだ」というすり替えをできてしまうなら変わりようがないですが。

こういうことを考えると人類というのは長い歴史の中で一応は英知を身に着けてこれたのだと思います。いわゆる「近代的自我?」みたいなものが中国の人には育ってないのかしら?
やっぱり中国には民主化、民族分布ごとに分割してもらわないと。


一人一人は深い考えや情緒があるのかもしれないけど、全体としての中国の人は乱雑なイメージに取られてしまうなぁ。






関係ないけど、村上春樹さんの「海辺のカフカ」上下巻で3360円。売られてるAVソフトが大体3000~4000円。同じ値段でこの内容の差。
AVなんて女の子に恥ずかしいことをさせて、それを見世物にしてお金をもらっているだけのもので、やっぱり今のAVなら「作品」とはとても呼べないものだと思う。

絡みなんてもうしわけ程度でいいから、伝えたいこと、表現したいことをやっていかないとAVは駄目になると思う。AVは10年前より格段に商品として洗練されたけど、それ故に全くの無価値に成り下がったと僕は思う。



そもそも映像は虚ろなものであって、肉体的な感覚を描くには向いていない。セックスは行為であって見るものではない。見るだけで、セックスにおける人の体験や感情のやり取りは得られない。その点でAVを見てオナニーする行為など、セックスや女性への軽視など害こそあれ、価値などない。

そもそも、何故AVを見るのか?在るから見るだけで、無ければ無いで困らない。
所詮、射精産業の隙間に「こういう商品もありますよー」っと押し込んだにすぎない。

あとAVは基本的にモデルをさらし者にするものであり、デジタル化、インターネット化が進んだ現在では一度のAV出演が永遠に残り、かつ簡単に検索閲覧が可能となって、親ばれしやすいなど、モデルにとっては過酷な事態になった。(多分、バレやすくなったらモデルのなり手も減る筈)。

そんな感じで、ただセックスをダラダラ撮ってるAVはもう無くなっていいです。
映像作品とするならば、セックスにまつわる人間の感情の機微や体の美しさを撮るしかないし、セックスシーンだって無くてもいいのかもしれない。
今の金太郎飴みたいなAVなら、どうせ必ず飽きられて滅びるから、もういいじゃないですか。
「絡みなんかどうでもいい、セックスの周りで右往左往する人間を題材にした、面白い作品」をガシガシ作ったらいいのではないでしょうか。
それでAVが終わるなら終わらせればいいのです。

それがAVに関わる人間の最後の責務だという気がします。
  1. 2008/06/02(月) 02:24:10|
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