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それでも生きなければならないのだ。
AVを離れて花屋でバイトしてます。
花束を作れなかったり、伝票処理が覚えられなかったりとまさに40の手習いで、しかられてばかりである。情けなや。
吾妻ひでお氏の「失踪日記」を断片的に読んだら、ちょうど吾妻氏が建設現場の土工さんの仕事を習っていて、まったくできずにジレンマに陥る場面で涙が出た。
花屋は人生の最後に仕事をする。
葬式である。僕は人の死体を毎日のように見ることになった。
人の性の次に死を見るのは、きっと神様の思し召しなのであろう。
生と性と死、AVはなおさらだが、あらゆる表現は人の生き様、性のあり様、死に様からめをそらさずに確かに描かなくてはならないと思う。
確かに僕らは、性と死を伴って生きているのだから。
中途半端に「ないことのように」描くことは間違ったことだし、きっとそれを見た子供たちだって性と死を誤解して、誤った行為に導かれるのではないだろうか。
性や死を忌むべきものとして避ける必要はない。それは生きることのなかにあるものだから。
今日はまだ生きようとちょっとだけ思えた。
- 2008/10/29(水) 01:53:07|
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