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向後さんがんばって下さいませ。期待しております。
前にも書いた事があったと思うのですが、アダルトビデオというのは人間がごく普通に行っているはずの性交をストレートに描ける唯一のメディアだと思う。人間の身体の特徴(見た目の美醜、身体的な障害、仕草に表れる癖、方言、嗜好など)は、その人物の人生に深く影響を及ぼすし、映画でも小説でも重要な要素になる。
そして多分、語られない部分の性的な特徴も、その人物に大きな影響をもたらしているはずだと思う。
人間は基本的には(病気や障害でない限りは)性交をする能力を持っているが、肉体的には一人一人異なっている。性器だけでも、大きい小さい、位置、形状、強度、色、性交時の快感も人それぞれ(どこがどれだけ感じるか?快感がない場合もあるだろう)。
その性的な特徴や、嗜好を持って、いろいろな失敗や成功をしながら語られない人生の歴史を重ねて行っているのだとおもう。
僕らはそうやって生きているし、女の子だってきっとそうだと思う。
そういう「個別性」をこそアダルトビデオでは写してほしい。
イメージシーンはグラビア風、アイドル風に装ってもらっていいけれど、性交の時に、その女の子の人物が、その女の子にしか出来ないセックスが立ち上がってくる、そういうアダルトビデオが見たいと思う。
だけど残念なことにアダルトビデオでは多様な人間性や性的嗜好を持つはずの女の子を、わざわざステレオタイプのキャラクターに押し込め、性交もフェラして電マして色んな体位でしておきまりの射精を撮って、本当に「誰でも同じ」に撮っているように見える。
ほんとうに女の子がしたい性交はもっと違うものかもしれないし、理想の性交をできた女の子は僕らの予想を裏切るようなエロチックな姿を見せるかもしれないのに。性交にはその女の子の人生が表れるはずなのに。
例えて言えば、普段は絶対に私生活を撮らせない芸能人が初めて自宅の中の撮影を許可した。だけどディレクターは「なんか地味な部屋だから、やっぱりスタジオで撮りましょうか!」って言ってしまうような馬鹿さ加減。
ほんとに繰り返し書くけど、普段は絶対に撮れないものを撮れる唯一のメディアなんだけどね・・・。人間を飾らず人間らしく、ありのままに撮れるメディア。それは人間賛歌でもあると思う。
だから僕は今だにアダルトビデオというジャンルに惹かれるし撮ってみたいとも思う。
いまこそ「girlfriends」をと、思ったりする。
僕はそれがアダルトビデオの本質・王道だと思うけど、きっと今の世の中では、それはアダルトビデオとは呼ばれないのかもしれないなぁ。
いずれにしても、世の中すべての物と同様に、アダルトビデオも善し悪しをきちんと評価されなければならないと思う。どうせエロなんだから、と言って「どうでもいいもの」ばかり作っていると、すべての物が駄目になると思う。少なくとも僕は見たいともう思えないし。
- 2010/10/09(土) 00:24:50|
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