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キノプラ太-矢野の仕事が無いAV監督日記。

AV監督、キノプラ太-矢野の仕事覚え書き。

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AVは越境するメディアである。

撮影の参考になるので、アイドルのイメージビデオをたまに見る。
グラビア関係のスタッフなのでやはりAVより綺麗にゴージャスに撮れている。アイドルのかわいいところがあって、次は水着でゴロン、体をなめるようなショット。
「うわー、触りてえ!」と図らずも思ってしまうショット。
で、僕らは自分が触ったような想像をして抜いたりするわけだ。

でもAVでは、そこに手が伸びてきて女の子のお尻を触ったりする。あまつさえ水着を脱がして性器に触れたりしてしまう。僕らがしたくてもどうしてもできなかったことを男優がいともあっさりしてしまう。

僕らはその越境が見たくてAVを見る。

見たくても見れない女の子の裸を見る越境。
女の子の性器にペニスを挿入する越境。


その個人の日常性を超える部分がAVの最大の魅力なのだと思う。

でもセックスの場面で男優がなんかこう気持ちよさそうにしてるととたんに「傍観者」に逆戻りしてしまう。「お前らだけ気持ちよくなってんじゃねえよ」になってしまう。

それは監督、カメラマンである僕もそう思った。
セックス前はカメラ=僕だけを見つめてくれた女の子が男優相手になるとこっちは傍観者だしちっとも楽しくないのだ!
で、ハメ撮りをするようになる。これもひとつの越境。普通の感覚では理解できないと思う。

あるいは、視聴者が素人男優としてAVに出たりする。あまつさえ自分の部屋に女の子を入れて撮影などし、ソープランドごっこなどしたりする。逸脱である。

こんなことAVでなければできないし、それができるのがAVの凄さだと思う。

そしてね、そうやって越境していくとAVモデルさんと恋愛したりするのです。
もう日常が撮影だかなんだかわからない。自分がAVの中に入ってしまった感じになる。
(もちろん日々撮影して作品化もしていくので)

そして、挙句の果てに元AVモデルの女の子と結婚とかして「もうAVは辞めて」とか言われてしまい辞めざるを得なくなるのも越境のひとつの形のような気がしてきた。

もともと僕は「女の子の気持ちを汲み取る」みたいなスタイルで撮影しようとしてきたから、そうなるのも当然の帰結だと思える。すべてがAVの法則の越境の結果なのだ。

そういう意味では僕はいまだに「撮影のないAVを撮影している」ような気がする。


それはセックスというものが自分の殻を破るというか「死に臨む」というような部分があるからだろうか。死に向かう恍惚。人生を棒に振る恍惚。女の子のお尻に手を伸ばす、という落ちていく快感。AVに働く越境のベクトルはそういうものなのかもしれない。
エロス+タナトスでエロトスとはよく言ったものである。




別の話。
子供は作ってみるものである。
子供がいなかったら絶対理解できなかったような視点で映画が見られるから。昔の自分なら無視したような部分で泣けるもん。凄い得した気分。
(負け惜しみもあるけどね)
  1. 2008/12/14(日) 02:15:32|
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