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それでも生きなければならないのだ。
AVを離れて花屋でバイトしてます。
花束を作れなかったり、伝票処理が覚えられなかったりとまさに40の手習いで、しかられてばかりである。情けなや。
吾妻ひでお氏の「失踪日記」を断片的に読んだら、ちょうど吾妻氏が建設現場の土工さんの仕事を習っていて、まったくできずにジレンマに陥る場面で涙が出た。
花屋は人生の最後に仕事をする。
葬式である。僕は人の死体を毎日のように見ることになった。
人の性の次に死を見るのは、きっと神様の思し召しなのであろう。
生と性と死、AVはなおさらだが、あらゆる表現は人の生き様、性のあり様、死に様からめをそらさずに確かに描かなくてはならないと思う。
確かに僕らは、性と死を伴って生きているのだから。
中途半端に「ないことのように」描くことは間違ったことだし、きっとそれを見た子供たちだって性と死を誤解して、誤った行為に導かれるのではないだろうか。
性や死を忌むべきものとして避ける必要はない。それは生きることのなかにあるものだから。
今日はまだ生きようとちょっとだけ思えた。
- 2008/10/29(水) 01:53:07|
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矢野監督、あけましておめでとうございます。
久しぶりにブログを覗かせていただきましたら、「AVを離れ、花屋でバイト」との記述があり、少し驚きました。
光と影といいますか、「花」を見て生死に思いを馳せるというその視点が、自分が矢野監督の作品に感じる「深み」の根源であるのだなと感じ入った文章でした。
花というと自分は、一昨年前に祖父が亡くなった時の事を思い出しました。哀しく沈んだ思いで式場に向かい、祭壇に飾られていた色鮮やかな花を見た瞬間、何か少しだけ救われた気がしたのでした。そんな「花」を扱う仕事に、いま矢野監督は就いているのですね。
「エロくて楽しい」の裏にある、セックス及び人生の側面を、AVという苦境の地(とあえて表現させていただきますが)で描こうとする監督の志しって、昨今のAV業界からしたらきっと異端でありクレイジーな存在でもあるのだろうなと感じます。
しかし、矢野監督がそんな思いを持ち続ける限り、自分は矢野監督を見守っていきたいなと思った次第です。
どうかこれからも頑張ってください。(花屋のバイトも含め、です 笑)
自分に子供が出来た時に、見せたくなるような作品を矢野監督に作って欲しいと願います。
長文、失礼致しました。
- 2009/01/09(金) 22:35:30 |
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