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そんなときに、タイミング良く「銀河鉄道の夜」を見た。
杉井ギサブロー監督。
演出ってここまで徹底してやらないと駄目なんだって思い知らされる。美術、キャラクター、音響、音楽・・・。僕が普段やっているAV撮影や編集なんか屁でしかない。いきあたりばったりで何となく格好よく撮れた画をつなげて、説明不足のとこにテロップで説明して「なんとなーーーく」そんな感じに仕上げてるだけだもん。僕のは。
イメフォ時代から撮り方が一切変わってないのに気がつくと情けない。簡単なコンテを書くこともあるけど、最近はそれもしない。物語を決まった撮りかたに当てはめて順番にその画を撮ってるだけです。はい。
だから僕は才能がないのだと思うけど。
確かに映像はどう繋げてもつながるし、語り方に決まりはないかもしれないけど、アニメを見るときには、きちんとしたコンテこそ映画表現だと思う。実写だと演技の面白さで意外な面白さとかあったりして乱暴につないでもいけなくない。
でも思うのは、実写でコンテ切って画を撮っていくと、予定を消化していく感じになって実に面白くない。役者も仕事モードになったりする。だから引きの画だけ決めて撮り始めてしまうわけだが、そうすると編集の時に必ず画が足りなくなる。思った画が撮れていない・・・となる。
その辺が今のジレンマ。ある意味僕の限界。
僕の悪い部分で、女優に気に入られたいとか、早めに切り上げて女優と二人っきりになってフェラでもしてもらおうとか、そういうヨコシマな考えをもったりするので、演技が出来ないなら出来ないなりの撮りかたでいいや、とか何回も繰り返して撮影することで女優の機嫌が悪くなるのが嫌だ、とか思いながら撮ってるからそうなる部分もあります。
もっと演出家としては灰皿投げるくらいのプロ意識を持たなければ・・・・・・・・・とは思います。
よく言えばライブ感のある撮影、悪く言えば超適当ということですね。
この女優にたいしてセクハラをするっていうのは、復帰してから積極的にするようになったのだけど、「この女とやりたい!」と思いながら、その気持ちを前面に出していくくらいのほうがAVっぽくなると思ったからです。どうしてもエロを拒否したものを撮ってしまう傾向があったから。
確かに以前みたいに手の届かない高貴なものとして女性を見る視点から、エロ親父的なセクハラ視線に変化はしたのですが、今度はエロ優先のいい加減さ、とでもいう感じになってきてます。ちょっと行きすぎみたいですね。
そんなだから、今こうしてきちんと作られた映画を見ると、はっとするし、きちんとコンテの出来ている映画の表現力に打ちのめされたわけです。
- 2008/01/03(木) 01:40:32|
- AVを作ること
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