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キノプラ太-矢野の仕事が無いAV監督日記。

AV監督、キノプラ太-矢野の仕事覚え書き。

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AVをつくるということ。12。わかりやすさについて。

AVでとにかくメーカーから求められるものは、判りやすさである。
このビデオは「**もの」であるから「**もの」でない要素は入れないでくれ、ということである。
これだけAVのジャンル分けが特化した時代であるからに、「人妻もの」「ロリもの」「陵辱もの」「痴女もの」「ドラマもの」「ドキュメントもの」等々・・・のジャンルが混ざらないようにしてくれと言われる。
そこで監督も女優も男優もプロであるので、「**もの」のジャンルに合うように仕事するのです。
で、仕上がったものは完璧に「**もの」になり、メーカーのOKを頂くのですが、「**もの」以外のなにものでもないのです。
それ以上の何か?というものが一切ない。女の子は本名の**ちゃんを捨て、芸名の**ちゃんをも捨て「名も無い**(例えば名も無いエンコウ少女)」であって、人間的な深みや複雑さは一切ない。
実に判りやすい内容である。
ハリウッドの映画がエンターテイメントのプロであるのは、明快でわかりやすい内容と表現をするからだと思う。この映画は「こういう内容」で「こういう主人公」と「こういうヒロイン」と「こういう悪役」がいて・・・とはっきり理解できなければならない。それゆえに、誰が見ても楽しめる娯楽エンターテイメントであり、プロとしての仕事なのだが、見終わったあとに全て忘れてしまうのはどうか?
観客というのは想像力がないから、判りやすくするのが務めだ、という考えは理解できるけど、判りやすくしすぎることで却って観客の想像力を無くしているのではないかしらん?

映画って印象に残る場面って「あれ、何だったの?」っていう場面が多い。
一見意味不明なショット、意味不明な表情、台詞。
それが引っかかっていて、ある日突然「ああ!あれはこういう意味だったんだ!」と気づく楽しさ。
それを排除された映画に残る印象はない。
AVも同じ。


パッケージで考えると、
特に「**もの」というイメージを明確に出すことをメーカーには要求されます。
パッケージでジャンルが判らないと売りにくいのだそうです。
で、これは「人妻もの」

rori

エプロン姿の若奥様が微笑んでいらっしゃるイメージの写真です。
まあ、ストライクゾーンです。

で、もう一個、グラフィスさんから勝手に借りましたが(すみません)
512hlux001sopl.jpg

国仲ありすちゃん可愛い(笑)・・・、っていうそんな話ではなく、
これも人妻ものです。
タイトルが付いてなければ人妻ものとはわからない。


どっちが「良い」パッケージでしょうか?
商品としたら、先のほうが正統かもしれないのですが、僕は後のパッケージに惹かれるのです。ありすちゃんが可愛いから?ここには載せませんが他のありすちゃんの写真よりいいです。つまりモデルの問題ではないです。


いわゆる「ニコパチ」写真って可愛い綺麗ですけど、「ニコパチ用」の作った笑顔だったり、典型的な構図になってしまったり、さっきの「**もの」のように完成度が上がればあがるほど、モデルの人間性が消えてしまうのではないか?と思うのです。

人間って、一面的なものではない。
笑顔があれば泣き顔もある、善人の反面、汚い部分もある。楽しい日々と同時に悲惨な事件もある。迷いもあれば、嘘も、ある。撮影まえに大食いしたり、食べ過ぎてウンコしたり、実はセックス大好きだったり、、そういう複雑な生き物だと思うのです。

後の写真には、何か心を惹かれる。
この女の子そのものに惹かれる。人妻だかなんだかより人間として気になる。
そういう意味で、この二つの人妻もの、僕が買うなら後のほうです。

だって先のほうは、目を離したら、もう表情を忘れてしまうくらい型にはめすぎだと思うもん。

人は、良くわからないものをみると想像力が膨らむものだと思う。


AVは内容だけ過剰に過剰に進めてきた。
プレイの過剰さ。
でも、こういう女の子っていう像が見えないとエロにはならないで人体実験にしか見えなくなる。
フィギュアスケートで例えるなら、今まで大技ばかり決めてきたけど、そろそろ演技力芸術点も考えたほうがよいのではないかということです。

女の子の描き方でしょうね。
人気単体なんて、「にっこり笑って、はいセックス」みたいなアイドル像を演じさせられていると思う。こういう感じでやりましょう、って言った瞬間に、本当の表情が写らなくなってしまう。

人生を背負った人間は複雑なものだし、そんな女の子が体と心をを開いてくれるからこそトキメクのでありましょう。
とくにパッケージ写真は、もっと人間の存在感みたいなものをだしたほうが、逆に売れる気もするけどなぁ・・・。
ニコっとかして、変な胸だか尻だか強調するいつものポーズの印象薄い写真は女の子を殺しちゃってると思うんです。

それを考えると、この業界(に限らないか?)の女の子の扱いかたというものに話は行くのですが・・・。基本的に人として見ないで商品としてみてるからじゃないのかな?



タイムリーに村岡監督のいいコメントがありました。(GASのHPより勝手に引用。すみません)
▼監督のコメント▼
村岡哲也監督

 目の前の「いい顔」にカメラを向け、記録するという事。

  自分が「表情に乏しい人生」を送ってきたせいなのか、この単純なことが監督である僕にとってのイチバン大きな喜びだったりする。だがしかし、その「いい顔」を撮影するという簡単そうな事が一筋縄ではいかないというのが現実なのだ。

   まず、現場に現れるモデルさんや男優さんたちから「いい顔」が消えてしまっている。つまりそれは、決まった役割を演じる事でその場を無難にやり過ごそうという顔が増えたという事なのだが、これはモデルさんたちの質が昔と比べて変わったという事ではないと思う。もっと単純に、その撮影の場に「いい顔」なんて求められてないのだから、そもそも持ってはこないという話なのだろう。

 「いい顔」が撮りたい、でもそれが難しい…という現実はつまり、
 「いいエロ」が撮りたい、でもそれが難しい…というのと同義なのだと思う。

 ディレクターズでの撮影に誘われ、香月藍というモデルに出会った。
彼女に撮影で何をしたいか尋ねると、遊園地か水族館でデートがしたいと真顔で答えてくる。
モデルがデートをしたいと言ってきたから、じゃあデートを撮影しましょうか、ってそれじゃあ捻り無さ過ぎで監督としては馬鹿丸出しの話なのだが、その時の僕は馬鹿でいいんじゃないかと感じていた。
何故ならそれを言う彼女が「いい顔」をしていたから。その彼女の真剣な顔は僕にこう告げていたのだ。

あたしは「デート物を撮影したい」んじゃなく「デートがしたい」んだ、と!

 香月藍、このDVDの中でとても「いい顔」を見せていると思う。(引用ここまで)

むら岡

二月発売だそうです。
http://www.gas-web.com/J/Index-j.htm

僕も、女の子のいい表情が撮りたいから、この仕事をしているのかもしれません。


  1. 2008/01/26(土) 01:13:02|
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