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キノプラ太-矢野の仕事が無いAV監督日記。

AV監督、キノプラ太-矢野の仕事覚え書き。

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AVをつくるということ13.

大阪弁というのがあって、何故かやくざっぽい怖いイメージがある。
「よう来たな!われ!」とか言われたら絶対事務所につれていかれてリンチにあいそうなイメージがある。
でも本来は単なる方言でしかないのだ。京都の「おいでやす」と同じ方言でしかない。
なのに怖いイメージがあるのは、大阪弁を使う人に怖い感じの人が多いからなのだと気づいた。
(怖い人が多い町では、自分も知らぬ間に怖い感じに感化されてしまう。それが当たり前になっていく。もともと何故大阪に怖い感じの人が多いのかは置いておくけど。)
使う人によって言葉のニュアンスは変わっていく。
科学者のよく使う詭弁「この開発の善悪は使用者の責任」というのと同じこと。
怖い人が使う言葉は怖く感じるし、優しい人が使う言葉はやさしく感じる。どちらも単なる言語でしかないのにだ。

同じようにAVだって単なる映像でしかないはずだ。映画やTvと同じ。映像言語でしかない。
が、何故AVには暗く陰惨な犯罪的なイメージが付きまとうのか?
それは、AVという映像を扱う人間がそういう人間だから、である。
セックスを扱っているからだというのは違う。セックスは所詮人間の日常的な行為でしかないし、誰でもやってることだし、本来陰惨なものではない。現に映画の中だって一杯セックスは描いてるんだもん。でも「芸術」って見られたりするじゃん。
同じものを撮っても、撮り手の価値観、思想、モラルで変わってみえるのが映像である。言葉と同じ。
だから性的に健全な?人間が作ったAVはおそらく映画と同じように見られるはずだし、犯罪的に嫌な感じに見えるAVは、そういう人間が作ったからということになる。
だからAVが一般社会において「暗く卑猥で犯罪的な唾棄すべきもの」として見られるのはそういう理由なのだと思う。

そこで、さっき書いた「感化」がでてくる。AV村で生きていると「自分の異常性」が見えなくなってしまうのだ。一般的なモラルからみてどう考えてもおかしいでしょ?っていうこともしてしまう。そしてますますAVは「暗い」ものになっていく。

もしかして、AVは性的に健康な人間しか撮ってはいかんのではないか?人殺しが趣味の監督が戦争映画撮ったら戦争賛美映画になるし、人種差別主義者が撮ったら・・・になるし。もちろん誰が何を撮ってもいいのだけど、商業映像には大衆に与える圧倒的な影響力があることを考えて、メーカーは「問題があるものは発表しない」という英断も必要なのではないか?
勿論個人でやるぶんには好きにやっていいのです。そう考えるとAVはその基準が甘すぎるのでしょう。本数がこれほど多いバブル状態で、なんでもいいから売っちゃえみたいなものが多すぎるのだと思う。
演技でないモデルの表情が見たいからといって、本気で抵抗するモデルに暴力をふるい続けるような商品が、レイプものなんだからほんとにレイプするのが一番みたいな商品が抹殺されないのはAV業界のモラルの低さであり、「AVなんていうものに関わってる人間はクズ」といわれる所以である。

人が暗いもの犯罪的なものに惹かれるのはわかる。
アニメは戦闘と破壊と殺戮を好んで描く。
しかし、最後にはそれを否定してみせるのだ。それはいけないことなのだと示すのだ。
AVは暗く変質的で犯罪のセックスを描く。だが最後まで否定しない。
AVを見た人の善悪しだいだからAVに責任はない、というのは商業映像としては詭弁だと思うのだが・・・。
  1. 2008/02/07(木) 11:19:38|
  2. AVを作ること
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